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Interview: Wolfgang Joop – Special: Fashion in Germany 3/7
16 February, 2010

ジル・サンダー、カール・ラガーフェルトと並んで、世界的に最も有名なドイツ人デザイナーであるヨープは、果敢に自己を定義し直す生き方を実践してきた。自らの名前を冠したライフスタイルブランド「Joop!」によって、大きな成功を収めながらも会社を売却。アートや文筆など多彩な活動によって才人ぶりを発揮した後、現在は独自のコンセプトに基づく超高級レーベル「ヴンダーキント」 を率い、モードの世界に新しいインパクトを与える。

Joachim Schirrmacher: 03年に、ポツダムで立ち上げられた「ヴンダーキント(Wunderkind=“神童”)」プロジェクトは、ヨープさんにとってどのような意味をもつものですか。

Wolfgang Joop: 「ヴンダーキント」は、私の夢の成就です。夢とは、ほかのブランドとは明確に異なるアヴァンギャルド=ラグジュアリー・レーベルを創出することで、次々と新しいトレンドを繰り出すのではなく、一定の持続性をもって意表をつくもの、不思議なものを生み出していくこと、慣れ親しんだもののなかにイライラ感を持ち込み、社会の気分に形を与えることによって、人々の憧憬をかき立てることです。

ファッションでイライラさせたい?

そうです。そうでなければ、私たちのブランド、私たちの作る服の存在意義はありませんから。ドイツの服飾業界は常に中庸を旨とし、口当たりのいい無難な製品ばかりを生産してきました。これはJoop!にも、「ボス」にも、「エスカーダ」にも当てはまることですが、私はもはやその片棒を担ぐつもりはありません。私の考えるモードは、アートとの融合に向かっています。「ヴンダーキント」の狙いは、見慣れたものの中にイリテーションを持ち込み、私たちのアイデンティティーを問い直すことにあります。TwitterやFacebook、Youtubeといったメディアの登場によって、人々は社会の気分に以前より敏感に反応し、自らの感想を語り始めています。画廊主や美術通、美術史家、ファッション評論家たちが専門的な立場から作品を評価する一方で、一般のひとたちも自分の直感的な印象を、どんどん発表するようになっているのです。

でもヨープさんは別の場所で、「人々はもはや自分勝手な“つぶやき(ツィート)”しか信じなくなっている」とも発言されていますが…。

ある製品について勝手につぶやいたつもりでも、実際にはそれ以上の感情をネットで伝えているのです。ところが大抵のひとは、そのことすらもう意識しなくなっていますね。ひとつの大胆な実験として始まった「ヴンダーキント」は、いまや私を毎朝、勤勉な学者のように早起きさせ、頭痛や心配ごとなどを忘れさせてくれますが、私がそこで試みようと思ったのは本来、とうてい不可能そうなこと、つまり私たちの生き方を服というものに投影させることができるかどうか、でした。ところが実際にやってみると、試みはどうやら成功しているようなのです。すでにStyle.comの1年前の批評で、私は„Paris’ resident eccentric(パリ在住のエキセントリック)“と呼ばれているのですから…。

ヨープさんのコレクションには、膨大な知識が注ぎ込まれていますが、それはデザインをする傍ら雑誌『Neue Mode』の編集者として女性読者から生の声を聞いたこと、ファッションイラストレーターとして1シーズンに1万3000枚ものデザイン画をじっくり検討した経験、さらにはニュース週刊誌『Spiegel』にファッション評論を執筆したことなどとも関係があるのでしょうね。

私がいつも言っているのは、「ヴンダーキント」はものごとの「本質」を形にするということです。例えば、先のパリコレで発表した「hurt and heal」と題する2010春夏コレクションです。ファッションの世界は通常、永遠の若さとエネルギーに満ち、問題などは存在しないかのようですが、このコレクションでは「痛みと癒し」というテーマを取り上げました。痛みを知ることは、幸福を感知する前提にほかなりません。痛みが消えるとき、私たちは救いの恩寵を味わいます。これは、社会的にとても重要なテーマです。とくに、現在のように経済的、文化的、個人的にいろいろと苦しいことの多い時期には、重要なことだと思います。

不安、受苦、痛みというテーマは、昨年上梓なさった自伝的写真集『Wunderkind』でも一貫していました。

私が心に感じている幻のような映像は、大抵の場合、はっきり形に表せません。例えば、仕方なく暗い湖に飛び込んだものの、向こう岸にたどり着けるかどうかまったく分からない、といったような感覚ですね。

そうした感覚はひょっとしたら、経済的基盤となるセカンドラインのブランドをもたずに、超高級プレタポルテとオートクチュールの間の、極めて小さなニッチで仕事をされていることと関係があるでしょうか。

私はあれもこれも、すべてをそつなくこなそうとする世代の人間ではありません。私の関心は常に、境界を越えることに向けられてきました。興味があるのは独自の道の探求、自由の実験であり、そのなかから生まれた作品は、やはり自由を感じさせるものになります。「ヴンダーキント」を買うひとは、それを着てどこかへ出かけるためではなく、「ヴンダーキント」のようでありたいから、そうするのです。

「ヴンダーキント」の良さを分かってくれるひとはいますか。

「ヴンダーキント」はオートクチュールの技で作られるプレタポルテという定評を得ていますから、十分評価されていないなどとは少しも思っていません。「ヴンダーキント」の服を着るひとは、最高の仕立て技術、丹念な手仕事の素晴らしさを肌で感じとることができます。Joop!時代とは大きな違いです。このころの私のイメージといったら、ショーの打ち上げパーティーの宿酔からやっと覚めたばかり、仕事なんかしたことがないといったものばかりでしたからね。

先ほどのお話しでは、ファッションは社会のニーズを満たすものということでしたが、他方で、華やかなものに対するメディアのすさまじい好奇心はどうでしょう。ヨープさんも、こうしたメディアの騒ぎに乗っていたところもあったようですが…。「ドイツのイヴ・サンローラン」などと書き立てられたりしましたし。あなたは、Joop!の製品を買うひとたちがしたくてもする勇気のないような暮らしを、自ら実践されていました。

確かに、少しメディアに乗り過ぎたかもしれません。しかし、人間というものは、衣服足りるとついどうしても必要というわけではない贅沢品、いわばケーキのてっぺんに載ったきれいなサクランボのようなものが欲しくなります。贅沢なものを手に入れれば、普段の生活にはない、ちょっとした冒険をしたような気分が味わえますからね。

「不安を抱える者はしばしば、セクシーさに逃避する」――、これもヨープ語録からの引用です。

それが正しいことは、ラガーフェルトさんをご覧になればお分かりでしょう。

でなければ、ヨープさんを?

自信のない臆病な少年だった私も、不安を乗り越える術を心得るにいたりました。私はその克服プロセスを、新シーズンがやってくる度に繰り返しています。

不安を乗り越えるのに、とくに役立ったのはどんなことでしたか。

1年前、リーマン・ブラザーズの破綻をきっかけに金融危機が勃発したとき、私は時代が大きな転換点を迎えたことを悟りました。そして、これから安楽な暮らしを選ぶか、Wunderkindという名の子供(Kind)を選ぶか、決断を迫られたのです。私は“子供”を選び、それとともに自分の青年期の名残とも、きっぱり別れました。人生の安全なルートから外れることを選んだのは、そこにとどまっても幸福になれないことが分かっていたからです。その決断が、いまの私に信じられないくらいの力を与えてくれています。この点で自分は、知り合いの多くのドイツ人とは違っていると思います。

写真集『Wunderkind』の自伝的記述は、自己解放の歴史のようにも読めます。

別れた妻とはずっと信頼関係を保ってきましたが、彼女はあの内容に不満で、改めて別離を宣告されました。

『Wunderkind』を読んでいて気づいたのですが、ヨープさんの人生の歩みは、ドイツ人とファッションの関係の変化を記述するのに、そのまま援用できそうです。外国での自分探しから、ドイツ的なものからの離脱、ライフスタイルの洗練への関心。そして03年、「ヴンダーキント」によって始まったまったく新しい試みも、近年のドイツにおけるファッションデザインの革新的動向に対応します。

ファッションとは本来、動きであり、衝撃であり、私たちの生き様の問題です。私がこの仕事に携わるのは、衝撃を与えたいからです。一方、ドイツの服飾産業は常にどこまでも完璧です。納期を守り、体に完璧にフィットした服をつくり、売り上げと利潤をしっかりにらんだ商売をして……。しかし、美学が欠けています。

若き日のヨープさんと奥様は、絵に描いたような「Itペア(いかしたカップル)」でした。カール・ラガーフェルトの城館に、修復が終わっていない段階で招かれたり、70年代の雰囲気をあまりにも完璧に体現するカップルだったため、イヴ・サンローランの目に留まって、街頭からそのままショーの会場に招き入れられたり。ドイツ人のファッションやスタイル感覚が、当時すでにまんざらでもなかったことをうかがわせるエピソードですが、今日ではほとんどどの世界的ファッション企業へ行っても、ドイツ人が働いており、部長級のひとたちも稀ではありません。それにもかかわらず、ドイツ的なものを極力表に出さないようにしているのは、昔もいまも変わっていません。

忘れられがちなことですが、ナチス以前のドイツには、立派に機能する服飾産業がありました。そのインフラが完全に破壊され、関係者にユダヤ人が多かったこともあって、有能で創造的な人材も失われました。このため、戦後のドイツにファッションが復活するまでには、長い時間がかかったのです。でも、もちろんわれわれドイツ人にだって、モードを創造する力はあります。ラガーフェルトさんをご覧なさい!

ドイツの服飾産業は「自前のデザインに懐疑的である。今日にいたるまで、企業の中で力をもっているのはデザイナーではなく、販売や製造の担当者だ」と、ヨープさんは語っていらっしゃいます。これはなぜでしょう。

おびただしい数の服飾企業に関わった経験から言うのですが、経営者たちはデザイナーという人種を信用していないのです。Hugo-Hugo Boss のブルーノ・ピータースにせよ、Joop!のディルク・シェーネベルガーにしろ、デザイナーは1度として権力を握ったことがないし、いまのような状況下ではクビにされることだってある。実際の仕事にとりかかる前に、デザイナーはありとあらゆる制限を課されます。まずはコントローリング、次は販売のチェック。その時点で、まだ当初の構想の痕跡が残されているとしても、さらに製造技術サイドからの介入もあります。そんなふうに部門間を果てしなく引き回されて、欲求不満は募るばかり。これを回避する唯一の道は、私自身もそうしたように、独力で仕事を始めることです。ほかに方法はありません!

つまり、多くのベルリンのデザイナーが選んだ道ですね。

ベルリンのシティマガジン『Zitty』が出したファッションの本をぱらぱらとめくって、「ワオ! ドイツにも本当にこんなすごいデザイナーたちがいるんだ」と、驚嘆したことがあります。でも、ドイツの一部ファッション雑誌となると、どうでしょう。広告を掲載している企業が、本文記事で取り上げられていることが多いのです。

潤沢な広告予算を使うのは、イタリア、フランス、アメリカの有名ブランド。ドイツのブランドは、とうていこれに太刀打ちできず、認知率が低い一因となっているともいわれます。

それでもなお出版社は、何が重要であるかを示さねばなりません。『Vogue』はこの任務を、常にきちんと(!)果たしてきたではありませんか。戦後の金が乏しかった時期だって、雑誌は慰めや未来展望、ヴィジョンの源泉でした。プリントメディアはそのためにあったのです。東ドイツにも、『Sybille』がありました。いまのドイツは、私たちのこの伝統あるアイデンティティを裏切ろうとしているのです。

ヨープさんの向こう5年間の個人的な夢、目標は何ですか。

私の頭はまだ老化しておらず、フル回転で活動してくれていますし、体格も昔と変わっていません。それでも芸術家、経営者、祖父、恋人(笑い)といくつもの役割を担う暮らしは、決して楽ではありません。いずれにせよ、「ヴンダーキント」のエッセンシャルな仕事に集中することが、私の最大の目標であることは明らかです。さらにこれと平行して、日常生活に深く入り込み、それを変える可能性をもったもうひとつのプロダクトの仕事にも、新たに大きな意欲を燃やしているところです。

会社再建を模索中の下着メーカー「シーサー」を買い取る計画のことですね。

ええ、そうです。

いまのお話しぶりは、下着だけではなく上質のチノパンツやシャツ、セーターなどのベーシックスも手がけられる可能性があるように聞こえます。

それはとてもやってみたい仕事ですね。エキセントリックな次元のことばかり考えているのは、やはり疲れますから。黒パンと水は、いつ飲んでも食べてもいいものです。

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